福岡市:能古博物館(のこはくぶつかん) 博物館 092-883-2887
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● 第一展示室

江戸時代の丁度中期に当たる1743年、今の福岡市姪浜に生まれた亀井南冥は、父のあとを継いで医者となり、同時に儒学者として名を残しました。 南冥は、1784年2月、福岡藩藩校「甘棠館」の館長に任命され、同月には志賀島で発見された「金印」の鑑定を行うなど脚光を浴びましたが、同時に設立された藩校「修猷館」の教義である朱子学が、幕府の公式教義となったことから、各藩も影響を受け、1798年には甘棠館は廃止されてしまいます。 その後は、長子の亀井昭陽が開いた私塾「亀井塾」を手伝う形で、多く集った門下生の教育に当りました。後に亀井学といわれるものは、南冥〜昭陽とつながる学問であり、朱子学が、「上下定分の理」などの考え方から、「武家政治の基礎理念」とされたのに対して、(荻生)徂徠学の流れを汲む南冥・昭陽の教えは、政治と宗教道徳の分離を説くものであり、言論の自由や、人夫々の持ち味を生かした教育を基本としており、これらの教えは、門下生やその弟子を通じて、近代まで連綿とつながっていると言えましょう。それらの代表的な人物としては、広瀬淡窓、福沢諭吉、更には政治結社「玄洋社」を通じて、高場乱、中野正剛、緒方竹虎にまで及んでいます。
        
かめいなんめい
亀井南冥肖像(1743〜1814)
画:濱地瑞峰
(郷土史家木下讃太郎旧蔵の複写)
かめいしょうよう
亀井昭陽肖像(1773〜1836)
画:藩絵師 尾形洞宵
讃:父南冥の高弟で義弟の山口白賁
おたふくず
於多福図
昭陽の長女、亀井少栞(1798〜1857)秀作の一つ。
「花の真意を知らんと欲せば、三更の月を踏んで来れ」とした恋の詩で知られる。現代なお「少栞画」の愛好者は多い。


● 第二展示室

江戸時代の博多湾は、福岡藩の藩米を廻送する千石船で賑わいました。全盛期には江戸、大阪はおろか東北、北海道にまで船足を伸ばし、江戸幕府や他藩の米、民間の材木、海産物の物流をも担いました。 この廻船業に従事したのが能古、今津、浜崎、宮浦、唐泊の五つの浦の船団で、この史実は1975年、民間の優れた研究者・高田茂廣氏が調査報告を刊行して専門家の注目を集めるようになりました。 中でも能古の船団は、全体約50隻の中で半数近くを占め、その活躍は「能古島が最も輝いた時代」といわれています。地元の小中学校では今なお石碑や校歌、学校新聞に当時の雄船の名を残して偉業を讃え、誇りとしています。



当館では、開館20周年を記念して、2008年より博多湾に因む史実、出来事を抽出し『能古島発!博多湾物語』を企画、展示して来ましたが、その集大成として、博多湾の中心に位置する能古島を囲む海、山、都市を俯瞰一望出来る大型ジオラマを制作しました。(タテ1.6m、ヨコ2.2m) 展望に秀れた「海の部屋」にあり、見る位置によって恰も玄界灘の上空や福岡市内の上空から眺めているような気分も味わえます。又、眺めつつ淹れたてのコーヒーも楽しめるテーブル機能も備えています。



★牛島竜介さんを忘れていませんか 多くの福岡市民がヨットマン牛島竜介さんを忘れていたようです。たずねても「知らない」と答える人がほとんどでした。昭和時代に博多湾で育ち、世界に羽ばたいた若者です。
能古博物館が検証しなければ、再び陽の目を見ることはなかったかも知れません。 40年ほど前、牛島さんは世界で初めて太平洋をひとりで往復航海しました。当時24〜25歳でした。マスコミも市民も大歓迎しました。その3年後には単独世界一周航海にも成功しました。

敗戦の年に生まれた牛島さんは、福岡市の県立筑紫が丘高校に通学しながら博多湾でヨットの腕を磨きました。いま64歳(2009年現在)。芦屋市で女性アパレルメーカーの社長さんを務めています。
1969年(昭和44)5月6日、牛島さんはヨット「サナトス号」(長さ8b)を操って博多湾を出航、7月26日、サンフランシスコ湾内のオークランド市に到着しました。史上3人目の太平洋単独横断でした。

因みに最初に成功したのは62年の堀江謙一さん。マーメイド号(長さ5.7b)で「太平洋ひとりぼっち」をやってのけ、日本や米国で大喝采を浴びました。
福岡市の姉妹都市オークランド市は牛島さんに名誉市民の称号を授けました。牛島さんは「サナトス号」を売却して帰国する予定でしたが、売れなかったので太平洋を往復する羽目になりました。

愛犬スキッパーを乗せ70年3月26日、メキシコのエンセナダを出航、6月21日に博多湾に帰ってきました。新聞、テレビはゴール数週間前から熱心に「サナトス号」の航跡を追い、大勢の市民が壮挙を称えました。

3年後の1973年(昭和48)8月27日、牛島さんは単独無寄港世界一周をめざし、ヨット「銀狐号」(長さ9b)で能古島を出航しました。前夜は島内の旅館に泊りました。
東回りのコースをとり難関のホーン岬、喜望峰をかわして成功疑いなしとみられましたが、不運にもマスト事故に見舞われ南アフリカのイーストロンドンに緊急入港。修理をして74年9月27日、母港博多港にゴールしました。
牛島さんの実家(福岡市南区和田)の物置には大量の海図、セール(帆)が保存されていました。当時を伝える新聞、雑誌が押入れに山積みでした。お母さん(86歳) は牛島さん愛用の航海機器や海外で受け取った記念品、ファンが寄せた手紙などを大切にしまっていました。牛島さんも「銀狐号」の航海日誌を自宅に保管していました。

これら貴重な資料は能古博物館に寄託され、「博多湾物語」の昭和史を飾っています。
うしじま  りゅうすけ
牛島竜介さん
1945年(昭和20)福岡市生まれ
<著書紹介>
▽犬と私の太平洋(71年朝日新聞社)
▽水平線の少年・ヨット銀狐号世界一周帆走記(75年朝日新聞社)
▽貿易風の旅人−犬と私の太平洋−(83年舵海洋文庫E)



淹れたてのコーヒーを飲みながら、青い海を隔てた福岡市街を眺めることができます。
ティールームのみの御利用も可能です。

・ホットコーヒー
・ノコサイダー



各種講座や研修に御利用頂けます。詳細は事務所までお尋ね下さい。

収容人数 40名
設  備 湯沸室・黒板・空調設備
使用料 1時間:1,600 円/ 1日:10,000円

収容人数 最大40名(テーブル使用時)
設 備 湯沸室・黒板・空調設備
使用料 1時間:1,600円  1日:10,000円

亀陽文庫 能古博物館
〒819-0012 福岡市西区能古522-2
TEL:092-883-2887
FAX:092-883-2881
開 館 日/毎週金曜・土曜・日曜と祝日
※団体にてご入館の場合は
 曜日にかかわらずご相談ください
開館時間/10:00〜17:00
     (入館16:30まで)
入 館 料/大人400円・高校生以下無料 (団体割引有)
      障がい者無料
※当館の設備等についてはお問い合わせください

【通し開館のお知らせ】
5月と10月は全日開館いたします
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