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● 別館1階 写真展 『人 水 命 中村哲医師とPMSの活動 ペシャワール会』 ● 別館2階 ★海外引揚引揚者数日本一万名が涙した博多湾 x 昭和史最大の悲劇は太平洋戦争でしょう。軍隊と市民の別なく戦争に巻き込まれ、沖縄では地上戦、広島と長崎には人類史上初の原爆が米国によって投下されました。 敗戦によって中国大陸や南方に進出していた日本人は引揚げ(帰国)を余儀なくされました。その数は軍人・軍属が約330万名、一般の人々が同じく330万名、計660万名に上りました。未曾有の民族大移動です。 戦災の被害が少なかった博多港は全国最大規模の引揚げ港として機能しました。懐かしい祖国に安堵の涙を流しながら139万2,429名が上陸、帰国を果しました。 一方で故国に戻っていく朝鮮半島出身者や中国人約50万名の帰国の玄関口にもなりました。 引揚げ港博多のピークは旧満州から大量の一般邦人を迎えた46年(昭和21年)5月から翌年4月にかけて。旧満州コロ島から次々と引揚げ船が到着して能古島沖の検疫錨地に仮泊しました。船舶の多くは米国貸与のリバティ型貨物船と戦車上陸用舟艇でした。 能古博物館では、風化しかけた「引揚げ港博多」を昭和史の一断面としてとらえ、地元引揚者団体の協力で当時の記録写真、資料を収集、展示しています。 博多湾に帰国した漫画家に少年時代の“ちばてつや”がいます。故赤塚不二夫ら10名で「中国引揚げ漫画家の会」(世話人代表・森田拳次)を結成。大型画集「中国からの引揚げ・少年たちの記憶」を上梓しました。こどもの目で見た日本統治時代の豊かな暮らし、敗戦後のどん底の生活、引揚げの苦難がさまざまな角度から描かれ、引揚げ体験の重さがわかります。 能古博物館は森田に依頼して海外引揚げを含むイラスト「博多湾物語」(6点)を制作しました。新たに設けた「海の部屋」に常時展示しています。
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